母はアルコール依存症と精神疾患があり障害者手帳を持っています。
いつヒステリーのスイッチが入るか分かりません。父の前では大人しく言いなり状態でしたが、子どもたちには日常的に暴力を振るっていました。
父は今で言うモラハラ、気に入らないことには鉄拳制裁で、食事ののったテーブルをひっくり返したり弟が殴られて骨折したりした時もありました。
窓ガラスが割れた時も、子どもたちがふざけたとかでなく、父に吹っ飛ばされたせいでぶつかって割れるのです。冬の寒い日で、段ボールをガムテープで貼って急いで応急処置したのを覚えています。
そんな家庭で、長女の私は小学生の頃から兄弟たちの母代わりをしていました。
機能不全家族で育つ子どもは、どうにかして生き残るために無意識に役割を担ってしまうようです。
ヒーロー(英雄)、スケープゴート(生贄)、ロスト・ワン(いない子)、クラウン(道化師)、プラケーター(慰め役)、イネイプラー(支え役)
それぞれ、
外側から家族をよく見せるために、勉強やスポーツ・習い事など優秀な人間であることを自分の存在価値と思い込まされていたり、
問題児として家族の中で悪役にされ、ストレスの捌け口としてより多く攻撃の犠牲になったり、
できるだけ自分の存在を消して巻き込まれないよう、周りに迷惑をかけないようにと押し殺していたり、
家族のストレスや緊張状態を和らげるために、自分がムードメーカーやおどけ役となってどうにか雰囲気を和ませようと頑張っていたり、
家庭内のカウンセラーとして家族に寄り添い優しく慰め、特に母親を精神的に支えるために自分を犠牲にしていたり、
兄弟姉妹の親代わりとなって世話をして、時には父親の妻代わり・母親の夫代わりとして精神的にも物理的にも家族を支えていたり・・・
歪ながら、危ういバランスを保つのに子どもも必死なのです。
このような6つの役割から、親の機嫌や顔色、家の中の雰囲気を察して何が最善の振る舞いか無意識に演じてしまうのです。
うちも思い返してみると、長女の私が支え役、長弟が生贄、末弟が道化師を担っていたように思います。
私は末っ子をとにかく守らなくてはと常に考えていました。
その日々の中で、母のヒステリーでいつ何時刺されてしまうかもしれないし、モラハラ父がいない時は弟が家で暴れているし、家のこともしないといけない、まだ小学生の末っ子もいる。
ご飯も作って、学校の課題もたくさんある。
高校の時にそれが限界に達しました。
このままじゃ私は壊れるなぁ・・・
親には相談もせず、高校の人間関係が良くないせいで辞めると説明しました。
実際に、体調も崩して学校は休みがちになっており、友人関係などはうまくいかなくなっていました。
親にしてみれば私が家のことをしていることが最優先なので、お金が無駄になったと責められましたが、特に揉めることもなかったです。
高校最後の日、担任の先生は成績は良かった私を、「もったいないですね〜、残念です…」と惜しんでくれていました。
物静かな先生で、あまり感情を表に出すタイプの方ではなかったですが、私はそれが程良い距離感で高校時代はありがたく感じていました。
次に、生徒指導の先生の、「辞めたら大変だぞ、これからどうするんだよ!」というようなことを聞きました。
剣道部の顧問で、年配の厳しい先生でした。
最後に、あんまり関わりのなかったはずの体育の先生が、私が辞めることで泣いてくれました。
「関係の薄い生徒のためにも泣くなんて、熱い先生だな〜」と頭の片隅で冷静に思うもう一人の私がいましたが、先生の泣く姿を見た私も泣いていました。